1: 同じ世界を眺めている・・・けど
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| 空に浮かぶ月を見ている。 今この時、何人もの人が同じ月を眺めているかもしれない。
けど、僕の網膜に投射されている形は、 他の誰かのそれと同じなんだろうか?
例えば僕はそれを「銀色に見える月」だなんて言葉で表すのだけど、 そして皆、「ああ、そうだね」なんて相槌を打ったりするのだけど、 その意味するところの形や色は、本当に彼我の間で同じなんだろうか?
僕と誰かとの間で同じ世界を眺めている、それは確かなことらしい。 でも、見え方が同じだなんて保証は何処にも無い。
僕たちは言葉という記号を通してのみ、同じ世界に生きていることを確認できるのだけど、 そんな中、どちらの見え方が正しいかなんて議論することは、とても馬鹿げたことじゃないか。
どんな見え方が正しいのか、気にしだしたら不安になる。 だから、「常識」という約束はとても便利だ。 でも、それ自体、特に意味がある訳でもないだろう。
それでも、「常識」を「色んな人の解釈の集合」だと考えたとき、 他の誰かの見え方が正しいんじゃないかなんて戸惑う時もある。
それはそれで、素敵なことなのかもしれない。 記号に縛られることなく、他の誰かと共感できるのだとしたら。
そして、そんなことがきっかけで戸惑い、自分を見失ったり、卑下したりしたとしても、 そうしたことは明日をより良くするための糧になる。
そう信じて、僕は劣等感に塗れた今日の僕を肯定する。
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by 歌織人 | 9月4日(木)00:45
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