十人十色
 
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健康な嘔吐ときれいな汚物の先のその光

人は、血が出ていたり、血は出ていなくとも
普段あまり、口にしてはいけないような事を、
表現している人の絵や音楽や服装などを、
「気持ちが悪い」「病んでいる」「不健康」と言ったりもしますけれど、
私的には、思っている事を絵や詩などで吐き出せるという事は、
かなり大事なことで、「健康」な行為だと思っています。

今自分が、絵等の表現の世界で、目指したい場所は、
とにかく「吐き出すこと」「吐き出しつくすこと」
そして「解放してあげること」です。

その時々に「吐き出した」結果が、
「明るいもの」でも「暗いもの」でも
「カッコいいもの」でも「カッコ悪いもの」でも
「吐き出した」その結果の形の「正解」を一つに決めつけず、
なるべく自由に、
「自然な状態でいた時に出てくるもの」
を大切にしたい、否定したくないと思いました。

でも、ここ最近ずっと「明るいもの」をあまり受け付けなかった。
そうゆうものが、出てきてもなんかそれを壊さないと、
自分らしくなくなっちゃうんじゃ無いかって、怖かったみたい。
自分のイメージを一つに決めすぎていたかもしれないね。。
なんだか、自分で自分を縛っていた気がします。。

でも、いつも「自分」も「他人」も「明日の天気」も
何も分からないって所から日々暮らした方が、楽しいと思った。
昨日と違って何が悪いの?
明日が分からなくて何が悪いの?
明日のこと、1ヶ月後のこと、1年後のこと。。想像はしてみる。
でも、分かる筈無い。
もし、分かってたら凄く嫌だ。。
50年後の自分がどうなってるかなんて知りたくないなぁ。
怖いし、知っちゃったら、なんかつまんない。
たいくつなのは、嫌だ。。

だから、分かりもしないこと、
「自分」のこと「他人」のこと「明日の天気」のこと
あれこれ想像して楽しむの。
それで、何だかんだで、けっこぉ良いみたい。
結構な暇つぶしになっているのじゃないかしらぁ。。?

あと、「明るいもの」が見たくなかったのは、
光を見せつけられると、それはあまりにも遠すぎて、
自分の無力を照らし出されるような気がして、嫌だったから。。
そこから自分は、眩しさとか蜃気楼的な感じ?しか感じられず、
けして触れられない何か遠い物体が向こうの方で、笑ってる。
その笑い声に、なぜだか余計暗い気持ちが強くなったような気がします。

でも、自分は、ここ最近「健康」になりたいと思っていて、
「正しく生きたい」とおもっていて、
それを目指していた筈だけれど、
何か最近「あ!」と思ったのは、
「私、正しいフリして凄く間違っていたのかも。」
とゆう事。
凄く危ないのは、「(自分にとっての)正しさの形」を「健康の形」を
一つに決めつけてしまうことだと思う。

当然、太郎さんと次郎さんの
「正しさの形」も「健康の形」も「幸せの形」も
違うんだ。当たり前に。
それを、一つに決めつけようとすることは、それって凄く間違っている。
よく人が「それはおかしいよ」とか「それは可哀想だね」とか
「それは間違っているよ」と
言ったりする事ってあると思うけれど。

自分の計りは、「感覚が楽しいと言っているかどうか。」
感覚的に辛くなったらそれは、よろしくない。

去年〜今年あたり、
「これからは、もっと健康的に正しく生きるんだ!」
とか自分にしては、珍しいスローガンをたてて、
はりきったのは、良いものの、
見事に結果「正しいフリして間違えました。」

普通に歩いていて息が苦しいとかどういうことそれ?!
誰が正しいとか言ってようが、
だって実際息苦しいのコレ何なんだ。。?

だから、他人から見た時に、たとえ間違っているのだとしても、
私にとっての健康は、こっちなんだ。
だって息が少し楽になるから。。
とか私そういう基準以外に知りません。。


by いろは
7月23日(水)01:32 | トラックバック(0) | 趣味 | 管理
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